準備室

-

11_
30
fri.
/
12_
16
sun.

-

鈴木操
Sou
Suzuki

個展
"open
the
door,"

 (c) Sou Suzuki 2017 | 「自営と共在」展景

/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / /

open


現代の生産は忘却に基づく。

生活という親密圏から追い出され、無為に忘れ去られることで生産される廃棄物。
忘却をきっかけに生み出された廃棄物は、次に不定称という指標を得て、別の生産システムへの回路を開くことになる。

現代では誰も何も作らないが、代わりに、広報的な生産を通して現代社会へ廃棄されるのは、常に過去の成果物であり、それはつまりリバイバルである。
忘れたことを忘れていると、リバイバル=復活という奇妙な現象を、なにか新しいものとして迎え入れてしまう。 そしてこの奇妙な現象を歓待する者たちに、未来など無いのだ。

全てがすでに、あらかじめ廃棄物であり、しかしその廃棄システムである時間の流れだけが、私たちを形作っているというならば、その生は、自らの感情を殺すのだろうか。
いいだろう。

だがもし私たちが、博覧強記なアーカイブ的精神のみに支配されれば、時間の流れさえも止まってしまうだろう。 私たちはなにも、過去の文化を保存し記憶し維持する為だけに、存在しているのではない。そんなものただの生存だ。
だから積極的に方法的に忘却し、土へ還せ。そして質料を見よ。
私たちは少なくとも冷酷ではないのだ。

なぜなら、私は忘れたことを忘れない。このリバイバルではない方法を通して、過去の成果物を、そして廃棄物を、純粋な質料として迎える。
いま、事物の前衛はここにある。
忘れられ棄てられるはずだったものに、質料としてのインターミッションを設け、新しい表面を与えるのだ。

「open the door, 」

扉がある。それは倉庫の扉だ。私はその扉を開放する。

日々、倉庫はインターバルな空間として機能し、物事の連続性にコンマを打ち、事物という隙間を差し込み暗示する。
倉庫の中では万物は、すべてに先立って備蓄されている事物であり、倉庫は永遠に新しい日を与える器となっている。
この場において私たちの実存は、万物の生産管理者であり、また備蓄される事物そのものである。

現代の生産管理者は未来に基づく。
そして、扉は開かれている。
内も外もなく、ただ質料がある。


the


鈴木操 個展
"open the door,"

room F 準備室では、11月30日 (金) から12月16日 (日) までの会期にて、鈴木操による個展"open the door,"を開催いたします。

-

会期 : 2018年11月30日 (金) - 12月16日 (日)
会場 : room F 準備室 (渋谷区神宮前4-27-3-201)
時間 : 13:00 - 20:00 ※金土日のみオープン
休廊 : 月曜 - 木曜
レセプション : 11月30日 (金) 18:00 -

-

トークイベント

12月1日(土)
18:00 -
青木正一 × 鈴木操

12月15日 (土)
18:00 -
長谷川新 × 鈴木操

各回先着20名(予約優先)となります。
ご予約はinfo@shibucity.com(渋都市株式会社、担当・西田)まで。

-

キュレーター : 齋藤恵汰

運営:ストリート編集室 street-eo.com
制作:渋都市株式会社 shibucity.com

-

door,

鈴木 操 | Sou Suzuki

1986年生まれ。現在横浜に在住。
文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始する。


私はこれまで、いわゆる力強い男性的な彫刻の在り方ではなく、むしろ弱さや暗さといった、社会において疎外されてしまう要素との触媒関係の中で制作してきました。
その実践は、漆喰、布、廃棄物といったものたちの時間的な変化プロセスを扱う方法の探求を通して、主にソフトスカルプチャーとして作品化してきました。
また私は長らく、自らの個人的な歴史と現代社会との間で「有限性とは何か」について問い、アプローチしてきました。現代社会において有限性とは、職種、趣味、宗教、人種、国、性など様々なアイデンティティと共に構築され、同時に解体されます。
そして私の制作とは、この構築と解体に際して無為に生産される、名指すことの難しい残滓を支持体として拾い、彫刻へ転化させる試みなのです。



[主な展示]
2018
「open the door, 」[room F 準備室, 東京]
2017
「自営と共在」[BARRAK1, 沖縄]
「/jama/」[屋久島白川山, 鹿児島]
2016
「私戦と風景」[原爆の図丸木美術館, 埼玉]
2015
「記憶喪失の石灰 - Amnesia Lime -」[TAV GALLERY, 東京]
2011
「Creative Fantasista 2011」[VACANT, 東京] (PARERGON名義にて出展)
2010
「¥2010 exhibition-spring」[0000 Gallery, 京都]
「ART FAIR FREE」[VACANT, 東京]
「Artists Night Vol.1」[0000 Gallery, 京都]

[MEDIA掲載]
2018 『美術手帖』「展覧会、隣は何をする人ぞ 「自営と共在」展」長谷川新 評 (2018.02, p182-183)
2016 『美術手帖』「展覧会の作者とは 「私戦と風景」展」原田裕規 評 (2016.05, p178-179)



roomf.space
-
4 Chome-27-3 Jingumae
Shibuya-ku, Tokyo 150-0001