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文責拒否・MsMb/松下学

2009.12.25 log

芸術のための芸術

― 「究極の芸術家」川染喜弘のデザイン&アーキテクチャ ―

文=松下学 (協力:圏外地獄)

自称「究極の芸術家」川染喜弘の作家論。アート・芸術に対する批判と反抗の身ぶりでアート・芸術に媚態を売ることが作家たちのサバイバル戦略となるなかで、なぜ、川染喜弘は、あえてどこまでも愚直に芸術なのか。

川染特集を企画した批評誌『REVIEW HOUSE 03』に寄稿したもの。全文の掲載はできないため、序章のみ抄録。



あなたのすべて、俯瞰させていただきましたよ
その俯瞰されているという事実を、放棄する!
その放棄、俯瞰させていただきます
それも、放棄する!
それも、俯瞰していましたよ
それも、放棄する!
それも、俯瞰しています
……受け入れよう!
……その受け入れも、俯瞰させていただきました
それも、受け入れよう

(ニ○○八月十月ニ八日、武蔵小金井アートランドでの8時間ライブより抜粋・要約)

より上位の認識をめぐってメタ次元でかぎりなく旋廻する「俯瞰マン」と「放棄マン」の闘争の顛末を描いたこの問答は、超越的な視座を求めて空転をつづける自意識たちの差異のゲームの幸福な破綻という現代社会の横顔を鮮やかになぞりあげる。これは、「過去にも未来にも最高の芸術家」を自認し「究極の芸術」を追求する川染喜弘のパフォーマンスのほんの一幕だ。

時間と空間を自在に移ろいながら居合わせた状況を表現の場へと変えていく川染のパフォーマンスは、「これは××というコンセプトです」という意図の明示とその様々な実演、「なので××として理解してください」という解釈の規範化、そして「××でした〜」という再確認の、差異を孕んだ反復からすべて構成されている。その一方で、川染の用いるツールやコンセプトはきわめて多彩で、それがもたらす解釈もまた多岐にわたる。

石ころ、クリスタル、壁、サミットのビニール袋、椅子、客の声帯、金属ボウル、ゲーム機、バインド線、お菓子、縦笛、VHS、時計、お風呂のフタ、音楽雑誌、バナナ、蛇腹、人工芝、半田ごて、灯油、座布団、セガサターン、食パン、ぴゅんぴゅん独楽、ハイヒール、MTR、円盤スタッフ、海苔、消しゴム、心音、枯葉、柿の種、段ボールと糸による自作楽器やプロジェクターでスクリーンに投影したアナログシンセなど、数え上げればきりのない様々な物体と己の言葉と身体を表現の媒介として、川染は表現の領域の開拓を続けてきた。

認識外領域の言語による認識化、他殺・自殺の仮想空間内のみの容認、能動的な行為としての沈黙や静止、音韻を光や所作や開放感や優しさで代行する前衛ラップ、鉱物による多次元ライブ、関係構築的芸術を資本関係へ回帰させるアイロニー、稚拙さの洗練、双方向的なアートインプログレス、労働批判、長生き、人類史の書き換えなどは、これまで川染が扱ってきたコンセプトのごく一部である。芸術史を人物や事例ら諸概念の領有関係のカリキュラムとして学習するのではなく、あくまで幾世代もかけて養分を蓄えてきたコモンズの森としてその豊かさに存分に与ってきた川染は、その遺産を手当たり次第に実験・検証しながら新たな独自のコンセプトの発案・実践を重ねている。

クロスオーバーにジャンルを横断・攪拌し、シミュラクルの要塞にだらしないデコンストラクションを仕掛ける川染の表現は、硬直した象徴体系を乱交へと誘惑するリゾーム的なエロスと、サバルタンの無為を批判へと翻訳するポストコロニアルな抵抗性と、今ここの確かなリアリティと、秩序を転覆させるポリティカルでポリセミックな祝祭性と、カオス理論的なポイエーシスの創出的な自律性と、空間論的転回をふまえたストリート感覚の軽やかな介入性と、堅固に閉ざされたシミュレーションの崇高さと、ゆるやかに開かれた関係性の美徳と、脱臼的なヒューモアと、妥当な道徳的感傷と、ポスト諸々の先進性全般と、男権的な芸術の鉄の檻をすり抜けるアートのしなやかさと、気まぐれなアートを粉砕する芸術の暴力を兼ね備えている。それらは同時代の混沌のブリコラージュから変幻自在に紡がれる神話であり、認識の限界を縦横に疾走するスリリングな概念サーカスであり、移り気な消費者さえもうならせるいっぱしのヴァラエティショーでもある。

しかし、ここまで列挙してきた川染のツール・コンセプト・解釈の快楽的な多彩さは、川染にいわせれば「飽きっぽいおまえらのためのエンターテイメント」でしかない。この途方もない多様性は、その豊かさ、現代性や先鋭性、批判的示唆、感動あるいは退屈の強度や多寡に関わらず、あくまで「エンタメ性」、余興なのだ。川染の追求する「究極の芸術」は、このめくるめく「エンタメ性」という表層を支えるゆるぎない基層にある。

思想と娯楽を気ままに往来する川染の「エンタメ性」の語りつくせぬ豊かさを語る喜びは、川染喜弘というできごとに触れるすべての人々の詩的な想像力に任せたい。ここでは、川染の歩んできた道のりを手がかりとして、その到達点である「究極の芸術」の二層設計と、その基底にある思想への接近を試みていく。

……

全文はこちら

Review House 03Review House 03

レビューハウス編集室 2009-12-25
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なお、『REVIEW HOUSE 03』に掲載された本文は、著者側の校正漏れで修正箇所が二点残っています。この場を借りて校正します。

P.121/一列目・四段落・9-10行
×:芸術史を人物や事例ら諸概念の領有関係をカリキュラムとして
○:芸術史を人物や事例ら諸概念の領有関係カリキュラムとして

P.123/三列目・二段落・14-15行

×:他者の表現を「私」の感覚に従属させる「芸術」の規範
○:他者の表現「私」の感覚従属させる「芸術」の規範

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